2011年03月04日 00時00分更新
18歳の若者が旅立つ卒業シーズン。島原駅の駅長、前田森義さん(60)も感慨ひとしお。3月末で自身も定年退職という「卒業」を迎えるからだ。1日最大250人の通学生が降りる島原駅。前田さんは県立高校の卒業式に手づくりポスターを贈り、門出を祝ってきた。
2011年03月04日 00時00分更新
普賢岳噴火災害で生まれた砂防指定地の有効な活用について話し合う雲仙岳砂防指定地利活用懇談会が2日、雲仙復興事務所で開かれ、地域住民らが水無川、中尾川流域の利活用について意見を出し合った。水無川上流域では清水川の水源探査や水路の復元などが示された。
2011年03月04日 00時00分更新
島原市に春の訪れを告げる「しまばら初市」が3日、霊丘公園で開幕した。江戸時代の物々交換の市に起源があるとされる春の風物詩。10日まで8日間行われ、5、6日は午前11時から「ジオ鍋」500食ずつがふるまわれ、「お祭りステージ」イベントで盛り上げる。
2011年03月03日 00時00分更新
在校生がいない、送辞もない、島原市医師会看護学校の平成22年度卒業式が2日行われ、看護科第5期生32人、准看護科第55期生19人が恩師らに祝福され、学び舎をあとにした。在校生がいないのは、4月から看護科3年課程(全日制)の学校に生まれ変るため。
2011年03月02日 00時00分更新
県立高校の卒業式が行われた1日、島原商高で10か月間学んできたタイの留学生スィリカーン・ラッタナウドム・サワットさんも3年生152人と一緒に『卒業』のときを迎えた。一人で来日し、一般家庭でホームステイしながら「島商生」として生活。「フォン」さんの愛称で親しまれた。【写真=同級生と記念写真におさまるフォンさん(左)】
2011年03月02日 00時00分更新
創立110年を超え、今年111年目を迎えた島原高等学校の第63回卒業証書授与式が1日、同校体育館青楓アリーナで礼式通り厳粛に挙行され、普通、理数科の計275人が祝福の甘露雨の中、母校をあとにした。
2011年03月01日 00時00分更新
島原市に春の訪れを告げる「しまばら初市」が3月3〜10の8日間、霊丘公園で開催される。5、6日は地元食材を使った「ジオ鍋」を無料で振る舞うほか、「お祭りステージ」イベントなどで盛り上げる。
2011年03月01日 00時00分更新
1日の卒業式を前に島原工高同窓会は2月28日、フロンティアスピリット賞に3年生3人を選んだ。松本美里さんに金賞、窪田愛さんと小川章矢(おがわ・ふみや)君に銀賞を贈り、3年間の功績をたたえた。フロンティア精神にあふれた3年生を顕彰する独自の制度で、2001年から11回目。【写真=右から小川君、松本さん、窪田さん】
2011年02月28日 16時11分更新
2月28日午前11時前ごろ南島原市西有家町の広域農道で軽乗用車が外壁に衝突する事故があり、助手席に乗っていた有家町の女性(80)が亡くなった。運転者の男性(52)も重傷を負っている。
2011年02月27日 00時00分更新
本年度の有馬スポーツ賞に大三東小5年の松田純香さんら16個人と一中剣道部など3団体が選ばれた。島原市立有馬武道館の建設に私財を投じた名誉市民、故有馬茂氏の遺志に基づき昭和56年に創設された市スポーツ基金により実施され、30回目。表彰式は3月5日に有馬武道館で。
2011年02月26日 00時00分更新
島原半島文化賞の受賞者が25日、発表され、県美術協会名誉会長の西本親雄さん(78)=雲仙市=、島原短歌会代表の清水トシヱさん(91)=島原市=が輝いた。宮崎康平氏の生前の功績を後世に顕彰し、半島文化の向上を図ることが目的で、29回目。受賞式は3月12日に島原城観光復興記念館で。【写真=島原半島文化賞に輝いた西本さんと清水さん・右から順に】
2011年02月26日 00時00分更新
総務省統計局は25日、昨年10月1日現在で実施した平成22年国勢調査の人口速報集計を発表した。島原市の人口は4万7471人で5万人を割った。半島3市の総人口は14万5104人で、県全体の約10・17%。
2011年02月25日 00時00分更新
島原市行政評価委員会(委員長=山口純哉長崎大学経済学部准教授・6人)は23日、補助金制度に関する提言をまとめ、横田市長に提出した。市勢振興計画など上位計画での優先順位づけや終期の設定など9項目を求めた。
2011年02月25日 00時00分更新
島原半島の有馬川で焼き殺されたキリシタン殉教者の遺骨が398年ぶりに里帰り。20日に現地の有馬川で、21日に島原市の島原半島殉教者記念聖堂(島原カトリック教会)で記念ミサが催され、聖堂に安置された。今回、半島に戻ったのは1613年10月7日に有馬川で殉教したレオ林田・マルタ夫妻の子息ディエゴ林田(当時11歳)、マグダレナ林田(当時19歳)姉弟の遺骨で、記録などから特定された。